伏見・宇治・八幡 〜京都南部を巡る旅

稲荷山中の参道。どこまで登っても、鳥居は延々と連なっていた 京都市街から南へ――。古来より日本の中心地であった京都とその周辺には数多くの名所・旧跡がある。今回はその南部、伏見・宇治・八幡をドライブすることにした。
京都南部でもっとも人気なのが、朱色の鳥居がまるでトンネルのように無数に連なる「伏見稲荷大社」。酒づくりの町として栄えた伏見では、酒造の歴史や工程を知る「月桂冠大倉記念館」や名水スポットを巡った。そこからさらに南下し、宇治では2つの世界遺産、「平等院」と「宇治上神社」を訪ねつつ、『源氏物語』の世界を再現した「源氏物語ミュージアム」を見学。
宇治からは車を西へ走らせて八幡へと向かい、日本三大八幡宮のひとつに数えられ、源頼朝や足利室町将軍家、戦国期の諸大名、徳川将軍家など時代を超えて武士たちに崇敬されてきた「石清水八幡宮」や、日本最大級の木造橋である「上津屋橋(流れ橋)」をまわった。

ドライブルート

京都市中心部−伏見稲荷−鴨川東出入口−(阪神高速8号京都線・稲荷山トンネル)−山科出入口−(醍醐道など)−醍醐−(醍醐道、県道36号線、京都外環状線など)−伏見−(京都外環状線、県道7号線など)−宇治−(県道15、81、13号線など)−八幡−八幡東IC−(第二京阪道路、阪神高速8号京都線)−上鳥羽出入口−京都市中心部

全行程 約70km

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伏見稲荷大社

「伏見稲荷大社」に着いて、まず驚かされたのが、人の多さ。京都でも屈指の人気スポットなので、平日でもそれなりに観光客はいるだろうなと思ってはいたが、こちらの想像を遥かに上回り、まるで祭りか何かのように大勢の人でごった返していた。世界最大の旅行サイト「TripAdvisor」の「外国人に人気の観光スポット」ランキングで、伏見稲荷大社が3年連続(2014〜2016)で1位を獲得している影響も大いにあるのだろう。

  • 参道には屋台が立ち並び、大勢の人で賑わっていた。鳥居の先に見えるのが、天正17年(1589)造営の楼門

    参道には屋台が立ち並び、大勢の人で賑わっていた。
    鳥居の先に見えるのが、天正17年(1589)造営の楼門

  • 稲荷神社といえば、狐。狐は稲荷神の「神使」「眷属」である

    稲荷神社といえば、狐。狐は稲荷神の「神使」「眷属」である

伏見稲荷大社は、全国に約3万社あるといわれている稲荷神社の総本宮。奈良時代の和銅4年(711)に秦氏が稲荷山上に創祀して、のちに現在の地に社殿が造営されたと伝わる。室町期の応仁の乱によって境内の殿舎堂塔のすべてが灰燼に帰してしまうが、戦後に再興されて、本殿は明応8年(1499)に再建。幾度かの修復を経て、現在は重要文化財に指定されている。
伏見稲荷といえば、誰もが朱色の鳥居が隙間なく立ち並ぶ参道を思い浮かべるはず。商売繁盛などの願いごとが「通る」祈念、もしくは「通った」感謝の意味から鳥居を奉納する習慣は江戸時代以降に広まり、現在では約1万基の鳥居が稲荷山の参道に立っているそうだ。境内のいたるところには「鳥居奉納のご案内」の看板が立っていたので、その数は今も増えているのだろう。

  • 本殿。応仁の乱で境内のすべての建物が焼失するが、明応8年(1499)に再建された

    本殿。応仁の乱で境内のすべての建物が焼失するが、明応8年(1499)に再建された

  • 千本鳥居。無数の鳥居が隙間なく立ち並び、朱色のトンネルのようになっている

    千本鳥居。無数の鳥居が隙間なく立ち並び、
    朱色のトンネルのようになっている

  • 稲荷山中の参道。どこまで登っても、鳥居は延々と連なっていた

    稲荷山中の参道。どこまで登っても、鳥居は延々と連なっていた

  • 奥社奉拝所の「おもかる石」。願いごとをして石を持ちあげたとき、予想より軽ければ願いは叶い、重ければ叶い難いとされる

    奥社奉拝所の「おもかる石」。願いごとをして石を持ちあげたとき、
    予想より軽ければ願いは叶い、重ければ叶い難いとされる

  • お塚。参拝者個々人の信仰に基づく神名(○○大神)を石に刻み、奉納されたもの。現在、山内には数万基のお塚があるそう

    お塚。参拝者個々人の信仰に基づく神名
    (○○大神)を石に刻み、奉納されたもの。
    現在、山内には数万基のお塚があるそう

稲荷山の最高峰・一ノ峰には、末広大神を祀る社が建つ

稲荷山の最高峰・一ノ峰には、末広大神を祀る社が建つ

観光ガイドなどでよく目にする「千本鳥居」を抜けて、「奥社奉拝所」へ。そこから坂道や石段を登っていき、稲荷山を参拝する。山中には、「○○大神」とさまざまな神名が刻まれた、おびただしい数のお塚が群在し、お塚のまわりにも小さな鳥居が奉納されていた。最高峰の「一ノ峰」の標高は233m。本殿から登りだけで1時間ほど。見物や休憩、下りなどを含めれば、お山の巡拝には2時間以上は時間を見ておこう。

  • 四ツ辻。茶屋があり、休憩に最適。京都市中を見下ろす展望スポットでもある

    四ツ辻。茶屋があり、休憩に最適。京都市中を見下ろす展望スポットでもある

醍醐寺

本尊薬師如来坐像が安置されている金堂。現在の建物は、豊臣秀吉が紀州からの移築を計画し、秀頼の代の慶長5年(1600)に完成

本尊薬師如来坐像が安置されている金堂。現在の建物は、豊臣秀吉が
紀州からの移築を計画し、秀頼の代の慶長5年(1600)に完成

京都南部には、世界文化遺産「古都京都の文化財」の構成遺産に指定されている寺社が3つある。宇治の「平等院」と「宇治上神社」、そして伏見区醍醐にある「醍醐寺」だ。今回の旅ではそのすべてを巡るべく、稲荷山トンネル(阪神高速8号京都線)を山科方面へ抜けて、醍醐道を南へと走った。
醍醐寺の開創は貞観16年(874)。まずは山上の上醍醐の伽藍が整備されて、のちに釈迦堂(延長4/926年)や五重塔(天暦5/951年)が建立されて下醍醐の伽藍も完成した。五重塔は、下醍醐の堂宇をことごとく焼いた応仁の大乱の戦火を逃れた唯一の建物で、1,000年以上前の天暦時代の姿を今にとどめる京都最古の木造建築物である。

  • 五重塔。醍醐天皇の冥福を祈るため、第一皇子・朱雀天皇が着工し、第二皇子・村上天皇の天暦5年(951)に完成した

    五重塔。醍醐天皇の冥福を祈るため、第一皇子・朱雀天皇が着工し、
    第二皇子・村上天皇の天暦5年(951)に完成した

  • 弁天堂。秋には周囲の木々の葉が美しく色づき、紅葉の名所となる

    弁天堂。秋には周囲の木々の葉が美しく
    色づき、紅葉の名所となる

  • 三宝院の庭園。左の建物は、国宝の表書院

    三宝院の庭園。左の建物は、国宝の表書院

下醍醐伽藍の奥にあった上醍醐へのゲート。上醍醐の伽藍までは山道を1時間ほど登らなければならない

下醍醐伽藍の奥にあった上醍醐へのゲート。上醍醐の
伽藍までは山道を1時間ほど登らなければならない

醍醐寺といえば、豊臣秀吉が慶長3年(1598)に催した「醍醐の花見」でも有名。息子の秀頼や正室・北政所、側室の淀殿のほか、諸大名の妻や女房衆など1,300人余りが集まり、派手好みの秀吉らしい空前絶後の盛大な花見の宴を行ったと伝わる。その醍醐の花見に際して再興されたのが下醍醐伽藍の西に位置する三宝院。その庭園は秀吉自らが基本設計をしたもので、桃山時代の華やかな雰囲気を今に伝えてくれる。
せっかくなので上醍醐の参拝もしたかったが、下醍醐伽藍から山道を1時間ほど登らなければならないということで、先を急ぐ今回は残念ながら見送ることにした。

/下醍醐拝観料(三宝院、霊宝館、伽藍)通常 800円、春・秋期 1,500円、上醍醐入山料 600円

月桂冠大倉記念館

伏見は、古くは「伏水」とも書かれたように、良質の地下水に恵まれた土地であり、その清水を生かした酒づくりは、すでに弥生時代にははじまっていたといわれている。酒づくりの伝統が花開いたのは、安土桃山時代のこと。豊臣秀吉によって伏見城が築かれたことで、伏見は城下町として発展し、生産される酒の量も増加。江戸時代になると水陸交通の要衝としてますます栄え、江戸前期には酒造業者数は83、醸造量は1万5千石余りと国内屈指の生産地となっていた。
そんな賑やかな時代の寛永14年(1637)、笠置から出てきた大倉治右衛門が「笠置屋」という屋号で酒造業を創業。これが現在の伏見を代表する蔵元のひとつ「月桂冠」のはじまりである。
濠川(宇治川派流)沿いに建つ「月桂冠大倉記念館」は、かつての酒蔵を活用し、昭和57年(1982)に開館したお酒の博物館。館内には、約400点あまりの酒造用具類をはじめ、明治期の瓶詰め商品や懐かしいポスターや写真などが展示されていた。
/入館料 300円

  • かつての酒蔵を改装した「月桂冠大倉記念館」の外観

    かつての酒蔵を改装した「月桂冠大倉記念館」の外観

  • ベーブルース来日時の小売店用の看板

    ベーブルース来日時の小売店用の看板

  • 伝統的な桶や樽、櫂など、約400点の酒づくりの用具類が展示されていた

    伝統的な桶や樽、櫂など、約400点の酒づくりの
    用具類が展示されていた

  • 敷地内にある「さかみず」は、伏見の名水のひとつ。今でも隣接する酒蔵で使われている

    敷地内にある「さかみず」は、伏見の名水のひとつ。
    今でも隣接する酒蔵で使われている

伏見名水めぐり(御香宮神社など)

伏見一帯には、酒づくりを支える伏流水を実際に汲める場所が点在している。名水めぐりをしながら、街を散策するのも楽しい。
御香宮神社の境内には、社名の由来となった「御香水」が湧出。平安時代、よい香りの漂うこの水を飲んだところ病気がたちまちにして治ったという伝承が残っている。全国的にも有名な蔵元「黄桜」の酒蔵を改装したキザクラカッパカントリー内には「伏水」が湧く。ほかにも鳥せい本店横の「白菊水」、長建寺の「閼伽水」など合計10カ所ほどの名水スポットがあるので、時間があれば巡ってみるのもいいだろう。

  • 御香宮神社の拝殿。鳥羽伏見の戦いの折には、境内に官軍の陣が敷かれた

    御香宮神社の拝殿。鳥羽伏見の戦いの折には、境内に官軍の陣が敷かれた

  • 御香宮神社の境内にある「御香水」

    御香宮神社の境内にある「御香水」

  • 「伏水」は、黄桜のカッパカントリー内に湧く。同施設内にはレストランや売店、資料館などもある

    「伏水」は、黄桜のカッパカントリー内に湧く。
    同施設内にはレストランや売店、資料館などもある

  • 鳥せい本店のすぐ横には「白菊水」が湧く。ボトルを持参して汲みに来ている人が並んでいた

    鳥せい本店のすぐ横には「白菊水」が湧く。
    ボトルを持参して汲みに来ている人が並んでいた

  • 坂本龍馬が伏見での定宿にした「寺田屋」も時間があれば訪れたい。当時の建物は鳥羽伏見の戦いで焼失したが、その後再建された

    坂本龍馬が伏見での定宿にした「寺田屋」も時間があれば訪れたい。
    当時の建物は鳥羽伏見の戦いで焼失したが、その後再建された

源氏物語ミュージアム

宇治に入って、最初に訪れたのは「源氏物語ミュージアム」だ。
平安時代、紫式部が書いた「源氏物語」は、全体で54帖からなっているが、45帖から54帖までは宇治を主な舞台としていることから「宇治十帖」と呼ばれている。当時の宇治は別業(べつごう)と呼ばれる貴族たちの別荘地で、夏には舟遊び、秋には紅葉狩りと四季折々の自然を楽しんだといわれている。

  • 平安の間。寝殿造りを模したスペース(写真左)に、平安時代の貴族の装束や調度品を再現して展示している

    平安の間。寝殿造りを模したスペース(写真左)に、平安時代の貴族の装束や調度品を再現して展示している

貝合せで使われた、さまざまな形や色の貝を再現。貝合せは、平安貴族たちの遊びのひとつ

貝合せで使われた、さまざまな形や色の貝を再現。
貝合せは、平安貴族たちの遊びのひとつ

ミュージアム内には「平安の間」「宇治の間」と名付けられた2つの大きな展示ゾーンがある。前者は平安京と光源氏をテーマとして、牛車や女房装束、調度品などを復元して展示。後者では、大きなスクリーンや実物大のセット、照明演出などによって、宇治十帖の名場面をドラマチックに再現していた。また、映像展示室では「浮舟」「橋姫」という2本の映画を交互に上映し、宇治十帖の物語を映像で楽しめるようになっている。
/入館料 500円

  • 宇治の間。大きなスクリーンや照明演出によって、「宇治十帖」の物語をドラマチックに再現する

    宇治の間。大きなスクリーンや照明演出によって、「宇治十帖」の物語をドラマチックに再現する

宇治上神社・宇治神社

源氏物語ミュージアムのすぐそば、宇治川の東岸に「宇治上神社」「宇治神社」はある。両社は明治維新までは二社一体とされ、それぞれ離宮上社、離宮下社と呼ばれていた。
先に訪れたのは、世界文化遺産に登録されている宇治上神社。創建は古く、平安時代に対岸に平等院が建立されるとその鎮守社として社殿が整えられたと伝わる。本殿は平安時代後期の造営で、神社本殿としては最古の建築。また拝殿は鎌倉時代初期に建てられたもので、こちらも現存する最古の拝殿とされる。

  • 宇治上神社へと続く橋と門。門の奥には国宝の拝殿が見える

    宇治上神社へと続く橋と門。門の奥には国宝の拝殿が見える

  • 「宇治七名水」のうち、唯一現存する湧き水である「桐原水」。手水場として利用され、ここで手を清めて参拝する

    「宇治七名水」のうち、唯一現存する湧き水である「桐原水」。
    手水場として利用され、ここで手を清めて参拝する

  • 宇治上神社の本殿。覆屋の内部には、三棟の内殿が左右一列に並んでいる。現存する本殿建築としては最古のもの

    宇治上神社の本殿。覆屋の内部には、三棟の内殿が左右一列に並んでいる。
    現存する本殿建築としては最古のもの

宇治上神社を出て、宇治川方面へ少し行くと宇治神社が建つ。
この神社の由緒には、古代の天皇家の悲しい物語がある。15代応神天皇には2人皇子――大鷦鷯尊(おおささぎのみこと。のちの16代仁徳天皇)、菟道稚郎子尊(うじのわきいらつこのみこと)がおり、天皇は当初、弟の菟道稚郎子尊に皇位を譲ろうと考えていた。しかし、菟道稚郎子尊は兄を差し置いて天皇になることを拒否。兄弟で皇位を譲り合った末に、菟道稚郎子尊は自ら命を絶つことで兄を即位させたという。のちに兄の仁徳天皇が、弟の宮居に祠を立てたのが、この神社の始まりだと伝わっている。
ちなみに、宇治上神社の本殿では、応神天皇、仁徳天皇、菟道稚郎子尊の三柱を祀っている。また、宇治という地名は、ウサギのみちを意味する「菟道(うじ)」に由来しているという。

  • 宇治神社の本殿。鎌倉時代初期の建築で、殿内中央には平安中期の菟道稚郎子尊の木造神像が安置されている

    宇治神社の本殿。鎌倉時代初期の建築で、殿内中央には平安
    中期の菟道稚郎子尊の木造神像が安置されている

  • 道に迷った菟道稚郎子尊を一羽のウサギが振り返りながら案内した伝説から、「みかえり兎」は神の使いとして敬われている

    道に迷った菟道稚郎子尊を一羽のウサギが
    振り返りながら案内した伝説から、
    「みかえり兎」は神の使いとして敬われている

  • 宇治といえば日本茶。宇治神社のそばには福寿園の「宇治茶工房」が建つ。館内にはショップやカフェ、茶室、体験施設があった

    宇治といえば日本茶。宇治神社のそばには福寿園の「宇治茶工房」が建つ。
    館内にはショップやカフェ、茶室、体験施設があった

  • 「宇治茶工房」のカフェで抹茶をいただき、ひと息つく

    「宇治茶工房」のカフェで抹茶をいただき、ひと息つく

  • 宇治川に架かる朝霧橋。清流と山々の景色が美しかった

    宇治川に架かる朝霧橋。清流と山々の景色が美しかった

鳳凰堂と阿字池をバックに記念撮影をする大勢の観光客

鳳凰堂と阿字池をバックに記念撮影をする大勢の観光客

鳳凰堂の拝観に向かう行列。20分毎に実施し、1回の最大人数は50名

鳳凰堂の拝観に向かう行列。20分毎に実施し、1回の最大人数は50名

平等院

宇治を代表する寺院といえば、やはり世界文化遺産にも登録されている「平等院」だ。
永承7年(1052)、ときの関白・藤原頼通が父道長の別荘を寺院に改めることで創建。その翌年の天喜元年(1053)には、阿弥陀如来を安置する阿弥陀堂が建立された。なお、この阿弥陀堂が、鳥が羽を広げたような優美な建物のかたちや、中堂の屋根の棟飾りに一対の鳳凰が取り付けられていることから、現在のように「鳳凰堂」と呼ばれるようになったのは江戸時代のはじめの頃だといわれている。平成26年(2014)には、約2年間に及ぶ平成の大修理を終え、外観は深い赤褐色の「丹土色(につちいろ)」にきれいに塗り替えられ、青銅色の鳳凰像や露盤宝珠には金箔が施され、より創建当時に近い姿に復元された。
鳳凰堂の堂内では、本尊阿弥陀如来坐像をはじめ、雲中供養菩薩像52体(うち26体はレプリカで、実物は鳳翔館に展示)、9通りの来迎を描いた壁扉画など、平安時代の浄土教美術の頂点ともいえる品々を間近に見ることができる。別途料金はかかるが、ぜひ拝観してほしい。また、敷地内に建つ現代的なフォルムの博物館「鳳翔館」には、梵鐘、鳳凰一対、雲中供養菩薩26体をはじめ、平等院に伝わるさまざまな宝物類を展示しており、こちらも必見だ。
/拝観料(庭園+鳳翔館)600円、鳳凰堂内部の拝観には別途 300円

  • 宇治橋を渡って県道3号線を進むと、やがて「平等院」の南門に着く。周辺には有料駐車場が点在している

    宇治橋を渡って県道3号線を進むと、やがて「平等院」の
    南門に着く。周辺には有料駐車場が点在している

  • 鳳翔館入口。景観維持のため、建物の大部分は地下にある

    鳳翔館入口。景観維持のため、建物の大部分は地下にある

石清水八幡宮

「石清水八幡宮」へは、山麓の駐車場に車を停めて、男山ケーブルまたは参道を徒歩にて山上に登っていくことが一般的だが、今回は時間短縮のために男山西側の住宅地を抜けて、車で一気に山上まで登っていくコースをとった。
石清水八幡宮の創建は、平安時代初期の貞観2年(860)。以来、都の裏鬼門(西南の方角)を守護する王城鎮護の神、伊勢の神宮に次ぐ国家第二の宗廟として、皇室から厚く崇敬されてきた。また、清和源氏・村上源氏などの諸源氏は一門の氏神として仰ぎ、足利将軍家、戦国期の諸大名、徳川将軍家など後代の武家たちも同じく厚い尊崇を寄せた。長い歴史の中で社殿はたびたび火災などで焼失したものの、天正8年(1580)の織田信長による社殿修復や、同17年(1589)の豊臣秀吉による廻廊再建、慶長11年(1606)の豊臣秀頼による社殿再建など、武家の支援を受けて復興。現社殿は、寛永11年(1634)に徳川家光によって造営されたものだ。平成28年(2016)には、本殿、幣殿および舞殿、楼門などの10棟が国宝に認定された。
昇殿参拝は1日2回だけ(11時〜、14時〜)で今回は時間が合わなかったため、楼門や廻廊を外から眺めるのみの参拝となったが、質実剛健さを感じさせるその堂々たる佇まいは武家の守り神である八幡大神の社にふさわしいと感じた。

  • 石清水八幡宮の社殿。正面の楼門の奥に、舞殿、幣殿、本殿が続く。周囲は約180mに及ぶ廻廊によって囲まれる

    石清水八幡宮の社殿。正面の楼門の奥に、舞殿、幣殿、本殿が続く。
    周囲は約180mに及ぶ廻廊によって囲まれる

  • 楠木正成が建武元年(1334)に必勝を祈願して奉納したと伝わる楠

    楠木正成が建武元年(1334)に必勝を
    祈願して奉納したと伝わる楠

  • 織田信長が天正8年(1580)に寄進した土塀。「信長塀」と呼ばれる

    織田信長が天正8年(1580)に寄進した土塀。「信長塀」と呼ばれる

  • 石灯籠が立ち並ぶ参道

    石灯籠が立ち並ぶ参道

上津屋橋(流れ橋)

八幡市の東に、テレビや映画の時代劇の撮影でよく使われる珍しい橋があると聞き、寄ってみることにした。
木津川に架かる「上津屋橋」は、通称「流れ橋」といわれ、全長356.5mという長さを誇る日本最大級の木造橋だ。流れ橋という通称は、大雨によって川の水位が上がると橋桁と橋板が流されるその独特な構造による。ちなみに昭和28年(1953)の完成以来、合計で21回流されているそう。現在の橋は平成28年(2016)に復旧したもので、橋脚の一部をコンクリート製にするなど“流れにくい”工夫もされている。

  • 橋桁と橋板はワイヤーロープで橋脚に固定。川の水位が上がると、橋桁と橋板が浮かび上がって流される仕組みに

    橋桁と橋板はワイヤーロープで橋脚に固定。川の水位が上がると、
    橋桁と橋板が浮かび上がって流される仕組みに

  • 自転車・二輪車も渡れるが、乗車したままは禁止で、手で押して通行しなければならない

    自転車・二輪車も渡れるが、乗車したままは禁止で、
    手で押して通行しなければならない

ニッポンレンタカーの車種・料金

詳しくは車種・料金一覧表をご覧ください。

京都府内のニッポンレンタカー営業所

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京都観光オフィシャルサイト 京都観光Navi
京都市産業観光局による。特別公開などのイベント情報や「平清盛の京を歩く」など特集も充実している。
京都観光 街めぐり
「京都を大好きな編集者がつくった、風のように旅して名所をまわる京都観光案内」おすすめコースもいろいろ。
宇治市観光協会
宇治茶と源氏物語のまち、宇治市の神社仏閣やおすすめスポット、観光モデルコースなどを掲載している。

記事・写真:谷山宏典 取材:2017年3月

  • ※ドライブコースの情報はそれぞれの記事の取材時点のものです。