広島・呉・江田島〜映画の舞台と戦争遺跡を訪ねて(1)

ミュージアムのシンボル、10分の1スケールの戦艦大和 昨年(2016年)11月から全国公開されている『この世界の片隅に』というアニメーション映画がロングランヒットを続けている。この映画は同名のマンガ作品が原作で、戦前・戦中の広島と呉を舞台に、ささやかな暮らしを懸命に続けるある家族の姿を描いた物語だ。
映画では当時の広島や呉の景観や建物をできるかぎり再現したそうだが、その中には今なお現存しているものもあるという。
明治時代から第二次世界大戦の終結まで陸軍の“軍都”として発展した広島。戦艦大和をはじめ数多くの軍艦を建造した「呉海軍工廠」が置かれた海軍の町・呉。「海軍兵学校」の島・江田島。瀬戸内海に面したこの一帯をドライブしながら、「原爆ドーム(旧・広島県産業奨励館)」や「江波」などの映画のロケ地や、「入船山記念館(旧・呉鎮守府司令長官官舎)」「海上自衛隊第1術科学校(旧・海軍兵学校)」など当時の雰囲気を今に伝える“戦争遺跡”を訪ねた。

ドライブルート

広島市中心部−江波−吉島IC−(広島高速3号線、広島呉道路)−呉IC−呉市中心部−(国道185号線、県道174号線など)−灰ヶ峰−(県道174号線、国道185号線、国道487号線)−音戸−(県道35号線、国道487号線、県道44号線)−江田島−(県道44号線、国道487号線、県道35号線)−桂浜−呉市中心部

全行程 約150km、今回行程 約40km

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広島城

広島城の天守閣

広島城の天守閣

ニッポンレンタカー広島駅前営業所で車を借りて、まず向かったのは「広島城」だ。
戦国時代、中国地方の大半を支配した大大名・毛利輝元は、もともと山間部に位置する郡山城(現在の安芸高田市)を代々の本拠としていたが、城下町と一体となって政治・経済の中心地として機能する城郭の必要性を痛感し、瀬戸内海に面した太田川河口の三角州に新たな城――広島城の建設を開始。天正19年(1591)、入城を果たした。しかし、わずか9年のちの慶長5年(1600)、関ヶ原の合戦で西軍総大将となったため、戦後に所領の大部分を没収。広島城には代わりに福島正則が入城し、建設途中だった城を完成させた。元和5年(1619)には正則に代わって浅野長晟が城に入り、以後明治に至るまでの250年間、浅野家が代々の城主を勤めた。
城跡には昭和の時代まで大天守、中・裏御門、二の丸などの建物が残っていたが、昭和20年(1945)の原子爆弾によってすべてが倒壊。現在の天守閣は昭和33年(1958)に再建されたもので、内部は歴史博物館となっており、城下町広島の発展の歴史に関する資料や、武具・刀剣・甲冑類が各階に展示されていた。最上層の5階部分は展望台になっており、眼下に広島の街を見下ろせた。

  • 天守閣の展望室からの眺め

    天守閣の展望室からの眺め

  • 城内に鎮座する広島護国神社。明治元年(1868)に戊辰戦争の戦死者を祀ったのが起源

    城内に鎮座する広島護国神社。明治元年(1868)に
    戊辰戦争の戦死者を祀ったのが起源

  • 広島城は別名を「鯉城」という。神社のおみくじも鯉のかたちに

    広島城は別名を「鯉城」という。
    神社のおみくじも鯉のかたちに

石組みの土台だけが残る、広島大本営跡

石組みの土台だけが残る、広島大本営跡

広島城内には、いくつかの戦争遺跡もあった。
本丸敷地内の中央部には、「広島大本営跡」とされる石組みの土台が残る。日清戦争時、皇居内にあった大本営が広島に移転し、明治天皇もこの地で戦争指揮を執ったそう。同時期には帝国議会も広島で開会されていたため、一時期とはいえ広島が国の首都機能を担っていたのだ。
広島護国神社のそばには、金網で囲まれた地下への入口が。一見何の施設かまったくわからないが、設置された案内板を読むと、ここがかつての「中国軍管区司令部」の防空作戦室だったことがわかる。原爆投下後、学徒動員されていた女学生がここの軍事専用電話を使って広島の壊滅を通信したのが、広島の原爆被災の第一報だといわれている。
/天守閣観覧料 370円、TEL 082-221-7512

  • 中国軍管区司令部の防空作戦室跡

    中国軍管区司令部の防空作戦室跡

  • 城内には、被爆しながらも生き延びた「被爆樹木」が何本かあった。写真は二の丸のユーカリ

    城内には、被爆しながらも生き延びた「被爆樹木」が
    何本かあった。写真は二の丸のユーカリ

縮景園

濯纓池と跨虹橋

濯纓池と跨虹橋

広島城の東、わずか1kmほどの場所にある「縮景園」は、広島藩主・浅野家由来の大名庭園である。築庭されたのは、初代・長晟の広島城入城翌年の元和6年(1620)。作庭者は浅野家の家老で、千利休の系譜を引く茶人でもある上田宗箇だ。その後、宝暦年間の大火によって多くの建物が焼失してしまったが、7代藩主・重晟が天明3年から同8年(1783〜1788)にかけて京都の庭師・清水七郎右衛門を招いて大改修を行い、今に残る景観、地割を形作った。

入口の冠木門をくぐって園内に入ると、正面に見えるのは代々の藩主が愛好した数寄屋造りの名亭「清風館」。訪れたときは、屋根のこけら葺き替え工事のため、建物の大部分がシートに覆われていて残念だった。ちなみに、広島に大本営がおかれた日清戦争時には、縮景園は大本営副営とされ、清風館は明治天皇の居所とされた。
清風館の裏手には、濯纓池(たくえいち)が広がり、その中央には縮景園を象徴する名橋、空に浮かぶ虹のような「跨虹橋(ここうきょう)」が架かっていた。濯纓池には大小14の島が浮かんでいるが、その景は参勤交代の際に船上より眺めた瀬戸の多島美を表現したものだという。池のまわりをぐるりと巡りながら、園内を散策する。かつての調馬場近くの梅林の梅はちょうど見ごろを迎えており、白や桃色の可憐な花を咲かせていた。
/入園料 260円、TEL 082-221-3620

  • いくつもの橋をわたって、園内をめぐる

    いくつもの橋をわたって、園内をめぐる

  • 庭園のほぼ中央にある清風館。訪れたときは屋根の葺き替え作業中だった

    庭園のほぼ中央にある清風館。訪れたときは
    屋根の葺き替え作業中だった

  • 濯纓池の小島で鳥が休んでいた。アオサギだろうか

    濯纓池の小島で鳥が休んでいた。アオサギだろうか

  • 池には色鮮やかな鯉がたくさん泳いでいた

    池には色鮮やかな鯉がたくさん泳いでいた

  • 梅林もちょうど見ごろに。17種約110本の梅が植栽されているという

    梅林もちょうど見ごろに。17種約110本の梅が
    植栽されているという

平和記念公園・原爆ドーム

原爆死没者慰霊碑。慰霊碑の先には原爆ドームが望める

原爆死没者慰霊碑。慰霊碑の先には原爆ドームが望める

昨年(2016年)5月、バラク・オバマが現職のアメリカ大統領として初めて広島を訪問し、ここ「平和記念公園」で慰霊碑に献花して演説を行ったのは、今も多くの人々の記憶に新しいのではないだろうか。
原爆死没者の慰霊と世界恒久平和を祈念して、平和記念公園の整備が着工したのは戦後間もない昭和25年(1950)のこと。設計は、戦後日本を代表する建築家・丹下健三である。広大な園内には、「広島平和記念資料館」や世界遺産に登録されている「原爆ドーム」、「原爆死没者慰霊碑」、「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」など、さまざまな施設やモニュメントがあった。

  • 原爆投下時の広島の様子や被爆資料などを展示する、広島平和記念資料館

    原爆投下時の広島の様子や被爆資料などを
    展示する、広島平和記念資料館

  • 公園の東を流れる元安川には、厳島神社のある宮島へ向かう遊覧船乗り場があった

    公園の東を流れる元安川には、厳島神社のある
    宮島へ向かう遊覧船乗り場があった

平和記念公園がある中島地区は、幕末から昭和にかけて広島有数の繁華街として栄えた歴史がある。昭和初期には、料亭、呉服店、医院、商店、映画館、会社などが軒を連ねて、大いに賑わっていたという。
当時の建物は原爆によってことごとく破壊されてしまったが、中島地区で唯一破壊を免れて現存しているのが、現在レストハウスとして利用されている建物。もとは「大正屋呉服店」として昭和4年(1929)に建てられ、戦時下の昭和19年(1944)には県燃料配給統制組合に買い取られて「燃料会館」と呼ばれた。映画『この世界の片隅に』では、大勢の人々で賑わう街並みとともに「大正屋呉服店」時代の姿が描かれている。
劇中では「原爆ドーム」の在りし日の姿である「広島県産業奨励館」も登場する。この建物は、チェコの建築家ヤン・レツルが設計したもので、大正15年(1915)に完成。緑色のドームが特徴的な重厚なヨーロッパ風の建物は、当時の市民たちに親しまれ、広島の名所のひとつとされていたそうだ。

  • 元安川の対岸から望む原爆ドーム。修学旅行の学生や外国人観光客が多かった

    元安川の対岸から望む原爆ドーム。修学旅行の学生や外国人観光客が多かった

  • 原爆による破壊をまぬがれた旧・大正屋呉服店の建物は、現在レストハウスとして利用されている

    原爆による破壊をまぬがれた旧・大正屋呉服店の建物は、
    現在レストハウスとして利用されている

  • 原爆ドームのかつての姿。もとは県の物産陳列館として建設された

    原爆ドームのかつての姿。もとは県の物産陳列館として建設された

現在は営業していない松下商店

現在は営業していない松下商店

江波

広島市中心部から広電江波線に沿って舟入通りを走っていくと、やがて「江波」と呼ばれる地区に入る。江波は『この世界の片隅に』の主人公・すずの実家がある場所で、いくつかのロケ地が点在している。
広島高速3号線が本川を渡る手前のあたり、丸子山不動院の北側にある「松下商店」は、子供時代のすずが小学校に登校するシーンで描かれている。現在は営業していないが、建物の様子は映画そのままだった。

江波山は、もともと「島」だったが、三角州によって周囲の海が埋められて「山」になった。桜の名所でもある

江波山は、もともと「島」だったが、
三角州によって周囲の海が埋められて
「山」になった。桜の名所でもある

そこから南西方向へ5分ほど走ると、すずが“波のうさぎ”の絵を描いた「江波山」に着く。山の上には車で登っていくことができ、その一画は公園として整備されていた。公園の南の端からは、マンションや工場地帯の向こうに瀬戸内海や安芸の小富士(似島)を望めた。映画では山のすぐそばまで海が迫っている風景が描かれていたが、戦中から戦後にかけて埋め立てが進み、山からの景色はずいぶん変わってしまったようだ。
園内には戦前からの旧広島地方気象台の建物を利用した「江波山気象館」という全国でも珍しい気象関係の博物館があり、あわせて見学してみるのもいいだろう。

  • 江波山気象館。戦前からの旧広島地方気象台の建物を利用している

    江波山気象館。戦前からの旧広島地方気象台の
    建物を利用している

  • 園内から広島湾を眺める。埋め立てが進み、映画のような海の景色は残念ながら見られなかった

    園内から広島湾を眺める。埋め立てが進み、映画のような
    海の景色は残念ながら見られなかった

大和ミュージアム

大和ミュージアム外観

大和ミュージアム外観

広島呉道路を走り、呉市へ。かつて海軍の町として栄えたこの地で、最初に訪れたのは呉港に面した場所に建つ「大和ミュージアム」だ。
館内に入ると、まず迎えてくれたのが巨大な戦艦大和。10分の1スケールというが、それでも全長は26.3メートルもあり、圧巻の大きさだった。戦前・戦中には東洋一の軍港とまで謳われ、重要な軍事拠点だった呉の博物館だけあって、展示内容も充実していた。特に当時の最先端技術の粋を集めて呉の工廠で建設された戦艦大和関連の展示は、計画から構造、戦歴や乗組員全名簿、そして海に沈んだ現在の姿まで、かなり詳細に解説がされていた。大型資料展示室に並べられた、零式艦上戦闘機、人間魚雷「回天」、特殊潜航艇「海龍」などの実物資料も目を引いた。
戦時下の市民生活や呉空襲の様子なども、当時の写真や物品とともに紹介されていた。『この世界の片隅に』で描かれた戦争中の呉が実際にはどのような町で、人々はどんな暮らしを送っていたのか。写真や資料を見ることで、より理解が深まったような思いがした。
/観覧料 500円、TEL 0823-25-3017

  • ミュージアムのシンボル、10分の1スケールの戦艦大和

    ミュージアムのシンボル、10分の1スケールの戦艦大和

  • 当時の設計図や写真をもとにして細部まで再現されている

    当時の設計図や写真をもとにして細部まで再現されている

  • 呉の歴史を、豊富な資料やパネルで年代順に解説。かなりの見ごたえ

    呉の歴史を、豊富な資料やパネルで年代順に解説。
    かなりの見ごたえ

  • 呉海軍工廠で建造された軍艦の模型も展示。写真手前は航空母艦「赤城」

    呉海軍工廠で建造された軍艦の模型も展示。
    写真手前は航空母艦「赤城」

  • 零式艦上戦闘機。2階からは操縦席の内部も観察できる

    零式艦上戦闘機。2階からは操縦席の内部も観察できる

  • 世界初の有翼潜水艇である、特殊潜航艇「海龍」の実物資料

    世界初の有翼潜水艇である、特殊潜航艇「海龍」の実物資料

  • 戦時下の市民生活の様子を伝える展示も

    戦時下の市民生活の様子を伝える展示も

  • ミュージアム裏の大和波止場からは造船所などが建ち並ぶ呉湾を一望に。正面は建設中のコンテナ船

    ミュージアム裏の大和波止場からは造船所などが建ち並ぶ
    呉湾を一望に。正面は建設中のコンテナ船

  • 通りの向かい側には、引退した本物の潜水艦が展示される「てつのくじら館(海上自衛隊呉史料館)」があるが臨時休業中だった

    通りの向かい側には、引退した本物の潜水艦が展示される「てつの
    くじら館(海上自衛隊呉史料館)」があるが臨時休業中だった

アレイからすこじま

呉港に面して遊歩道が整備されていた

呉港に面して遊歩道が整備されていた

大和ミュージアムのあとは「アレイからすこじま」へと向かった。途中、国道487号線沿いには、かつて呉鎮守府がおかれた海上自衛隊呉地方総監部や、現在もコンテナ船やタンカーなどの巨大な船舶を建造する造船所などがあり、海軍の町、造船の町として栄えた往時の雰囲気をそこかしこに感じることができた。
アレイからすこじまは、公園とされてはいるが、英語で小道という意味の「アレイ」という名が示すように、港に面したちょっとした遊歩道だった。「からすこじま」という名前は、明治初期の呉浦にあった周囲30〜40mの烏小島(大正時代に魚雷発射訓練場として埋め立てられた)に由来する。
すぐ目の前の港には海上自衛隊の潜水艦と護衛艦が何隻も停泊しており、「国内で唯一、現役の潜水艦を間近で見ることができる公園」という謳い文句の通りであった。また、道路をはさんだ向かい側には、戦前から使われているレンガ造りの倉庫が並び、海軍工廠時代の景観を今に伝えていた。

  • 潜水艦や護衛艦が間近に!

    潜水艦や護衛艦が間近に!

  • 潜水艦桟橋の入口。道路の向かい側には海上自衛隊潜水艦教育訓練隊の建物があった

    潜水艦桟橋の入口。道路の向かい側には海上自衛隊
    潜水艦教育訓練隊の建物があった

  • 園内にあったこのクレーンは、かつて魚雷積み込み用として使われていたもの

    園内にあったこのクレーンは、かつて魚雷積み込み用
    として使われていたもの

  • 真ん中の9号倉庫以外は戦前からの建物。呉海軍工廠時代の街並みを今に伝える

    真ん中の9号倉庫以外は戦前からの建物。呉海軍工廠時代の街並みを今に伝える

ニッポンレンタカーの車種・料金

詳しくは車種・料金一覧表をご覧ください。

広島県内のニッポンレンタカー営業所

ニッポンレンタカー ホームページの営業所検索で、広島県の営業所リストをご覧いただけます。

ひろしまナビゲーター
広島観光コンベンションビューローによる。観光情報を検索したり、モデルコースの案内やムービーが見られる。
広島平和記念資料館
展示内容や周辺ガイドを紹介しているほか、バーチャル・ミュージアムで展示を見ることができる。
大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)
10分の1スケールの戦艦大和のほか、呉の歴史や造船技術などを展示している。

記事・写真:谷山宏典 取材:2017年2月

  • ※ドライブコースの情報はそれぞれの記事の取材時点のものです。